日本版Riverdance

言うまでもないことだが、Riverdanceはアイルランドの伝統的な音楽、ダンスをベースにしたショーである。ところがさて、世界に誇る文化を持つはずの日本からこういう世界に通じるショーを作り上げることはできないものなのだろうか?帰り道に友人とちょっとだけそんな話になった。
そう考えてみてRiverdanceがやっぱり凄い思うのは、プリンシパルを初めとするキャストの違いによってステージの雰囲気ががらっと変わるところだ。特にReel Around The Sunなどのプリンシパルのソロが前面に出てくるところではその傾向が強いのだけれども、個々人の表現を生かせるだけの隙間を持たせた振り付けっていうのがやはり重要なんだろうなあと思う。プリンシパルの自己主張が強すぎれば、ショーはそのプリンシパル個人に依存した一代限りのものに終わってしまうし、かといって振り付けの縛りがキツすぎれば同じものばかりを見せられる観客はいつしか飽きてしまうだろう。その絶妙なバランスの見事さがRiverdanceの凄さであって、10年にわたる長きに渡ってこれだけ広く受け入れられ続けてきた要因のひとつなのではないだろうか。隙間という言い方はあまり的確ではないと思うけれども、振り付けや演出における懐の深さ、とでも言えばいいのかなあ。
日本でも津軽三味線や沖縄音楽、和太鼓などの文化が現代的にフィーチャーされることが多くなってきた。それらをまとめ上げ、緩やかなストーリーで結合することによって、世界の目をこの国に向けさせるようなステージを生み出すことができるんじゃないかとは思う。それだけの文化的素地は間違いなく根付いているはずなんだ。伝統芸能そのものにはさすがに敷居の高さを感じても、現代的にアレンジされた三味線の音色や和太鼓のリズムの中には、日本人として感じ入るものが確かにある。そういった盛り上がりの中で演奏家個人が取り上げられることも増えているし、だとすればあとは「懐の深い」ストーリー、振り付け、演出さえ揃えば……という気がする。
日本には明治以来の西洋化に伴う文化的断絶という一大事件があって、そこを越えての日本文化の再発見という非常にわかりやすいテーマ、モチーフがある。とかく否定的に捉えられがちな文化的断層を、そういった形で前向きに再評価することも、そろそろ可能になりつつあるんじゃないかと思うのだけれども。それができれば、日本人が胸を張って日本の文化を世界に向けて誇るための大きな転換点になるんじゃないかなあ。
ま、実際の会話では「だから元彌チョップとか言ってる場合じゃないっつーの」とかいうオチがついていたわけですが。でも考えてみると結構面白いネタだよなあ、これは。