羽生喜治インタビューの感想文

羽生さんのお名前はネット上でもちらほら見かけるように思います。梅田望夫さんとの親交があるためかもしれませんが、もちろんそれだけではなく、その言葉に深い含蓄を感じさせるからではないかな、という気がしているのですがどうでしょうか。
そういった意味でこのインタビュー記事も面白く読ませて頂いたのですが、個々のエピソードはさておき、全体的には今までネット上で読んだ話と大体同じかな、と感じました。インターネットという「高速道路」に関する話は、梅田望夫さんの「英語で読むITトレンドの2004年12月6日にある「インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞」で読んだのが最初でしたが、論旨はほとんど変わらないようです。記事自体はもう1年半以上前のものですが、それが今でも通用するところが凄い、と思いはするものの、目新しさはないよなあ、と。
ついでに言ってしまうと、インタビュー内での「Web2.0」という言葉の使い方もやや唐突というか、なんだかちょっと木に竹を接いだように感じてしまいました。もっともWeb2.0ってのがそもそもインタビューのテーマだったんでしょうから、そういう話題にシフトしていくのはいいんです。いいんですが、将棋の話題からWebに関する話題への展開がなんだか唐突じゃなかろうか、という気がする。
そういう意味では「Web2.0」という言葉をテーマにするのってなかなか難しいのかも、とも思いました。今さら言葉の定義云々について話をする気もしませんが、「なんだか漠然としてるけど新しいモノ」という以上に「Web2.0ってこういうモノだ!」という以上のコンセンサスは存在していないように私は思ってます。さらに言えばそんなコンセンサスが形成されるのかどうかすらわからないくらいに、Web2.0ってのは広範な概念になっちまっているような気もする。悪し様にいうと、なんでもかんでも詰め込みすぎだ。
というわけで記事全体を通して一体なにが聞きたかったんだろうってのがちょっとわかりにくいインタビューだなあと思ってしまいました。これがたとえばコミュニケーションだとか、集団知だとかに焦点を絞れていればもっと面白くなったのかもしれない。まあ深く狭く、よりは広く浅く、というコンセプトだったのかもわかりませんけどね。それならこういうインタビューになるのもわからないではない。東洋経済という雑誌の性格を考えれば、Web2.0のほうがキャッチーなのかもしれませんし。



というように捉えてみると、今回のインタビューでは広く浅くであったがゆえに、かえって羽生さんがもっとも意識している話が出てきたのかも、と思います。それが出ているのが以下に引用するあたりなのかなあ、ということでバラバラ行きます。

 時間をたくさん費やして考えるのも大事なことですが、それをどこに費やすかもすごく大事ですね。

 たくさんある中で、本当の真贋を見分ける。
――信頼できる人を見抜く心眼ということですか。
 逆に言うと、そういうのが見抜ける人は重宝がられるでしょうね。

――続けられること自体が才能ということですね。
 そうです。つまり、環境が一緒になると最後はそういうことになる。
――高速道路は差別化にならないわけですね。
 そうですね。その点はある程度やる気があって、一生懸命やっている人たちであれば、必ず通ってくるわけですから。
――生の人間としての精神力とか意欲とか、才能が全部さらけ出される怖い世界ですね。
 そうなんです。だから、そういうのがいいのかと思うときはあるのですが、もうそうなりつつあるということなので。

ここで語られているのはいかにして情報の取捨選択をするかという話であり、持続する熱意というものの重要性です。そこで思うのは、それってたとえば集団知ロングテール、密接なコミュニケーションなどによって語られるWeb2.0というモノとはあまり関係ないんじゃなかろうか?ってことですね。Web2.0なんて曖昧ですよへへん、とか言った舌の根も乾かないうちによくもまあ、と我ながら呆れます。でもやっぱりこの記事を「Web2.0でござい」って言われるとなんか違うんだよなーって気がするのですよ。
持続する意志、というのはともかくとして、情報の取捨選択の重要性ってのはむしろインターネットそのものの特徴だろうという気がします。そういう意味で羽生さんの話ってのはインターネット的ではあってもWeb2.0的ではないような気がする。つってもまあ、Web2.0という概念はしょせんインターネットという概念に包含されるものでしかないのですが。
この情報の取捨選択の重要性って話は、実のところ古くて新しい話です。語り口は違っても、同じような話はこれまでも幾度と無く繰り返されてきている。インターネットの普及によって我々が手に入れられる情報の量は爆発的に増えましたし、Googleの登場などによってその量は指数関数的な増加を続けている。伸びはいつかどこかで鈍るかもしれませんが、減ることはおそらくないでしょう。そして一人の人間がそれを網羅することは不可能だという事実が覆ることもないはずです。その上で我々はそれに対するうまいやり方をまだ見つけられてはいない。
個人的に羽生さんが凄いよなあ、と思うのは将棋の話題をしている中にも、それにとどまらない普遍的な要素を感じさせるような語り方ができるところにあります。上に引用した文章でも、そこだけ読んでみると将棋だけではなくてもっと他の話題であっても通用しそうな趣がある。「インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞」という話__あるいはその語り方もまさしくその好例のようなもので、聞くたびごと色々と考える契機になります。
将棋というのは情報が非常に大きなウェイトを占める世界であるという意味において、Webなどの情報産業に近いところがあるようです。その世界の中で、登場以来常に第一人者であり続けた人の感受性の鋭さ、先見性はやはり凄いものがあると思わざるを得ない。そんなことを改めて考えてみたりしました。
でも、そろそろ別の切り口から羽生さんの話を聞いてみたい気もするなあ。