『敗北を抱きしめて』より

読書感想文ってのは普通読み終えてから書くものですが、実のところまだ第2章です全部で17章あるにもかかわらず!だから以下で書くことはこれから読み進めていくうちに本の中で答えが得られるたぐいのものかもしれません。ま、それはそれでいいや。
 ちなみにやったら長い上に未整理かつ全然読書感想文になっていないことが書いているうちに判明してしまいました。これから何回か書くこともあるのかもしれませんが、タイトルを見て読まないって決めちゃうなら今のうちです。

憲法改正論ってのがありまして、その論拠としてよく「今の憲法は押し付けだから」ってのがあげられるのはけっこう知られているんじゃないかと思います。で、今読んでるところにもそういうことが書いてあるんですね。憲法押し付け論ってのはどうやら日本が占領軍(実態は米軍)の統治下にあったころからすでに存在していたらしいと。その例が『敗北を抱きしめて』ではいくつか引かれています。当時の新聞や雑誌の記事、中には読者の投稿というようなものもあります。
 その中で漫画家である加藤悦郎の作品がいくつか取り上げられていました。絵そのものを引用することはしませんが、本人の解説文にも戦後の民主主義改革への危惧のようなものが現れています。それを端的に示しているのが

鎖は切断された
__しかし、我々はこの鎖を断つために一滴の血も汗も流さなかつたことを忘れてはならない。(一部旧漢字を改めている部分があります)

の部分ではないでしょうか。これ、今の『憲法押し付け論』な人の主張ときれいに重なっているように見えるんですよね。ただ、それじゃあ加藤悦郎が日本国憲法の存在に異を唱えていたかというとそうではない。そのあたりを『敗北を抱きしめて』の本文から引用してみます。

彼のささやかな画集に一貫している興味深い点は、民主主義革命という理想への熱意と、この「贈り物」は日本人みずからの力で得たものではないという危惧とが同居していることである。

実際にはこの直後の文で例として先ほどの加藤悦郎の解説文が引かれています。現在の憲法押し付け論との違いは、「民主主義革命という理想への熱意」という部分にありそうですね。とにもかくにも抑圧の非常に強かった戦時中の日本社会に比べ、民主主義というものがどれほど当時の日本人にとって魅力的なものだったかということがうかがいしれます。経緯はともあれ、理念としての民主主義は受け入れる。そしてその理念の実現に力を尽くそうという姿勢に私は強く惹かれます。
 けれども、自力で勝ち取ったわけではないものへの執着心というのは時として薄れてしまうことがあります。これ、実際の生活でもよくあることなんですが、買うときに苦労したものほど捨てられないんですよね。ついついその時の思い出がフィードバックしてきてしまう。これも愛着というやつの一形態なんじゃなかろうかとも思ってしまいます。
 ところが日本の民主主義、ひいては日本国憲法というのはそうじゃなかった。河上徹郎はアメリカの政策を「配給された自由」と呼び、南原繁が1949年になって「アメリカと違って、政治上の民主主義は、いまだ真の生命的存在とはなっていない」と言ったのもその現われでしょう。そして残念なことにそれが現代まで引き継がれてしまっている。もしかすると、夏目漱石が明治時代の西洋化をして「上滑りの文化」と言ったところにまでさかのぼってしまうのかもしれません。

ただ、私はどっちかというと憲法改正には反対だったりするんですよね。なんでかっていうと、日本国憲法の理念そのものを変えてほしいとは思わないからです。特にすでに議論百出な感のある9条ですか。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  1. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

確かに自衛隊なんてものがある以上、この条文は現状にそぐわないものになってます。でも、「じゃあ自衛隊を持つことができるように憲法を変えよう」ってのはなんかちょっと違うんじゃないかと思うんですよね。いや、本当は違わないんですがそれによって今の憲法の持っている「平和主義」の理念が変質してしまうのがイヤなんです。少なくとも私は戦争なんかしたくない。起こるときには起こっちまうのが戦争だってのはとりあえず仕方がないんですが、正直なところそれに巻き込まれて死んでしまうのは冗談じゃねーよって感じで。名もない一人の兵隊としてロクに知らないところで朽ちてしまうってのは世の中でもっとも不幸な死に方のひとつだと思います。
 もちろん憲法を改正するからといって戦争(日本の交戦権)を認めてしまうことはないはずですけどね。憲法調査会とかでも「三原則は堅持」って強調されてますし。ただ安保やらなんやらでなし崩し的にそういう方向に話が流れていっちゃいそうな気がするんですよねえ。最近の自衛隊の海外派遣とか、『人道的支援』のニュースなんかを見ていると特に。少なくともそういうきな臭い話に現実味のあるうちは慎重でいてほしいものです。

憲法には多分に理想主義的なところがあると思います。で、それがアメリカから配給されたものだってところに反発を覚えてしまうのもまあわからないではない。けれどもそれだけで憲法を変えちまおうってのもなんか底が浅くないですかね?今の憲法は理想を語るものとしてはけっこういいものだと思ってるんですけど。あとはその理想に向かって少しずつではあれ前進していけばいいだけの話です。その理想ってのは他人からもらったものだろうがなんでもかまわないんじゃないかなぁ。元はといえば民主主義っていう考え方自体がヨーロッパ発なんだし。「おめーの国は憲法も自分で決められねーのか」って笑いたい人がいるなら、笑っていていただければいいと思います。

個人的には自衛隊って「なんかあったときに駆けつけてくれる隣のにーちゃん」ってな感じでいてくれるのが理想なんですけどね。まあ国際協力ってやつで危険な地域に出張ることもあるってのは今後はますます増えていくと思いますけど、そんな人たちが雪祭り雪像作ってるのってなんかいいなあ、と。
 いや、めちゃめちゃ甘いこと言ってるんですけどね。少なくとも「自分だけ平和をむさぼってぬくぬくしてたいんか」って言われちゃいそうだし。うーん、やっぱり簡単には結論がでないなあ。ものすごい勢いで『敗北を抱きしめて』からかけ離れていっちゃったし、そろそろ続きを読むことにしようと思います。