台形の面積

つーかYomiuriはなんで「3・14」とかいう書き方をしてますか。

それはともかく、「((上底+下底)x高さ)/2」の復活ということで。んー、台形の面積の公式って習った後では使った記憶はあんまりありません。でもそんな公式ってたくさんあるし、ことさら台形を仲間はずれにすることもないのか。円周率は3でも3.14でもどっちでもいいといえばいいような気がしますが、小数点以下2けたの計算に慣れるためって理由なのかな。でもほっといても50桁くらい覚える子供はクラスに1人くらいはいるんだよな。

ここ最近の教育は「ゆとり」と「学力低下」の狭間で揺れ動いてるという感があります。でもこれの両立って普通に考えるとムリなのでは。だからこそエラい人たちはその中間点を求めていろいろやってるんでしょうけど、二兎を追っちゃうあたりがいかにも、という気もする。

でも「ゆとり」のなさを生んだのは詰め込み型の勉強のさせ方のせいだったんじゃないでしょうか。とにかく公式の暗記、年号も暗記、英文法も暗記!それはそれで面白い語呂合わせみたいな副産物を生んだわけですけど、なんつーかこれで勉強が好きになる人ってよほどの変わり者だと思います。で、好きじゃないものをやらせるために「いい大学に入れば後でラクができる」というエサでつったり、「勉強しないと後で絶対公開する」と脅しをかけたりするわけですか。

こんなこと言ったら怒られるかもしれないですが、子供が知りたいことって公式とか小数点以下第2位の計算とかじゃなくて、もっと「面白いこと」なんじゃなかろうか。でも文部科学省の審議会とかではそっち方面に話が進むことってまずないですよね。学力低下に歯止めをかけたいのはわかるけど、そのための方法が江戸時代の「油分け算」なんですか?うーん。

小学生の指導の話とはズれますけど、私は数学の先生には数学のエレガントな世界を教えてほしかったし、物理の先生には自然を数式で表すことの妙を教えてほしかったです。歴史の先生は歴史の楽しさを知ってたはずだし、英語や音楽の先生だってそうだったんじゃないか。でもそれを感じることは昔の私にはできませんでした。

こんなのは所詮門外漢の理想論にすぎない話なわけですが、やっぱり「勉強することが楽しい」ってのをどうやったら教えられるのかについて考えてほしいと思うんですよ。もちろん基礎学力の話をしてもらったってかまいませんけど、そればっかりじゃ勉強がどんどんつまんなくなってくような気がする。まじめすぎてダメとか言ったら怒られるかな。でもそれで本当に学力低下は防げますか?

多分防げるんでしょう。でもそれは詰め込み型学習への逆戻りですよね。その考え方が変わらない以上、「ゆとり」と「学力低下の防止」が相反する概念であることは変わらないだろう思います。それであるのかないのかわからない最適点をみんなで探し続けて、そのために審議会の需要は不動。文部科学省の仕事が減ることもなくめでたしめでたしってとこかな。

われながらひどいオチだ。