今日のツッコミ

衆議院予算委員会管直人に『首相は公約を一つも守っていない』と言われた小泉首相が『大きな問題を処理するためには、この程度の約束を守らなかったというのは大したことではない』と応えたという話。

『大きな問題のために、公約違反がなされることもある』ということ自体、あながち間違ってるともいえません。なんでかというと、たとえば増税のように有権者にとって不利益になるような公約は、選挙時に掲げられることがほとんどないからです。たとえそれが長期的な視野で見て必要とされるようなものであったとしても。

しかしながらそれは同時に公約というものが単なる『当選のためのリップサービス』に堕することを同時に意味します。公約というのは理屈的には選挙時に候補者を選択するための唯一の判断材料です。それをないがしろにするという行為は相当重い覚悟をもってなされなければならない。少なくとも次の選挙で当選しようなんて思っちゃいけない。

要求されるのは、たとえ有権者にとって不利益であろうとも、その政治家が必要であると判断したものは公約として掲げられるということです。その上できちんとした論理をもってして、なぜそうすることが必要なのかを語り、聞くものを納得させることが望ましい。

しかしこんな話、実際には単なる理想論に過ぎません。それだけ論理を組み立てることのできる政治家もいなければ、短期的な不利益を長期的な視野をもってして克服できる有権者もいないからです。いや、本当にいないかどうかはわかりませんが、少なくともそういう候補者はおそらく当選できないだろうというのが私の現状判断なんですね。

とするとこの出来事に対しては、現状に際して居直っちまった小泉首相を非難し、返す刀で不利益な公約はそれ自体でダメだと思ってしまう有権者__つまり自分自身を省みるというのが妥当な態度ではないか、と思うのです。で、ツッコミ役になった管直人に対しては『オイシいとこ持ってったなあ』とでも思っとこうかなあ、と。

あと、記事の最後に小泉首相のこんな発言が載ってました。『公約は大事ですよ。国債発行30兆円枠を守るのと、経済情勢を見て柔軟に対応するのとてんびんにかけて。靖国だってそう。許容範囲です』

許容範囲かどうかを判断するのはあなたじゃありません。