歴史の繰り返し

次世代産業として、情報、バイオの次の世代を担うであろうと期待されるナノテクノロジーの現状についてのインタビュー記事です。

ナノテクノロジーの話をする上で難しいのが、いまだ実現されていないことを語らなければならないという点にあります。記事中にもありますが、実用化にはまだ10年−15年かかるといわれている。にもかかわらず世にナノテクの話はつきまじ、といった様相で、いったいどこまでが本当でどこまでが希望的観測にすぎないものなのか。これを判断するのは容易なことではありません。

いくつもの国や企業がナノテクノロジーにカネをつぎこんでいます。たとえば日本では情報、バイオの分野で大きく後塵を拝してしまった感が否めませんから、今度こそとの思いもあるのではないでしょうか。もともと素粒子物理学などの分野を得意にしていたという背景もあり、かなり気合が入っているのだろうと思います。

しかし行過ぎた熱狂は危険だろうという指摘は必要でしょう。これが記事の最初に一番最初にある部分なわけですが、私なんかは個別具体的な話よりも、ここが一番大事なんじゃないかと思ってしまいます。ちょっと長いですが引用してみましょう

……確かに騒ぎが大きくなりすぎている部分はあると思います。実際はどうなっているのかを見極めるのが非常に難しくなっています。明るい展望ばかりが語られ、その見通しの信憑性を疑ってみたり、反証を挙げてみたりする人が誰もいません。……

これはいわゆる「ドットコムバブル」の再現に対する警告になりうるでしょう。日本だと土地バブルの方が実感がわくでしょうか。浮かれ騒いでいるうちに、いつしか自らのいる場所が空中楼閣になってしまっていることに気づかない。何度も繰り返されてきたことです。そのたびに実にたくさんの人がイタい目を見てきました。その経験から、地に足の着いていない状況に警鐘を鳴らす人も徐々に増えてきたとはいえ、熱狂は人を近眼にするから当の本人たちはその声には耳を貸さない。

産業が発展する過程にこういう話はつきものだよ、という気も確かにします。とにかく膨大なエネルギーが必要で、それは少なからず熱狂的な人を生み出すのだろうとも思う。「ドットコムバブル」を経て、地に足のついた企業が多く排出され、いつしか情報産業がない時代が考えられなくなったように、たとえ「ナノテクバブル」が起こったところでナノテクそのものがダメになるってこともないでしょう。

しかしながらやはり祭りの後ってのは悲しいもんだよな、と思います。ただの寂寞ですめばいいんですが、それによって多くの人が敗れ去っていくという構図に変わりがないのならなおのことですね。今の熱狂ぶりを見るにつけ、バブルの再来は避けられないことのように思われます。ナノテクが発展し、生活がより便利になるのは喜ばしいことなんですが、まだ起こってもいない「ナノテクバブル」のことを考えてちょっとだけ悲しい気持ちにもなるのでした。