『夏への扉』

古びている部分と古びていない部分とが共存している作品。1957年のSFなのだから当たり前といえば当たり前であるが、それでも十分楽しめる。ハインラインの作品はこれも含めてまだ3冊しか読んでいないが、いずれも『人間』に力点が置かれているように感じている。それが古びない部分となって今に残っているのではないだろうか。
『サイエンス』の部分こそがSFの核であり、その部分に多大な想像力、洞察力を要するのは間違いない。だが、時とともにもっとも早く風化するのもまさに『サイエンス』の部分であり、そのあとに『人間』の物語としての骨組みが残る。たとえば本作では2000年が『未来』として扱われているが、その描写は今見る限り古びた未来観であると言わざるを得ない。しかしながら物語としての面白さはそれとはまた別に確固として存在しているのだ。
サイエンスの部分がいち早く陳腐化してしまうというのは、『現実がSFを追い越している』という言葉を引くまでもなくSFというジャンルの根幹に関わる問題である。それをSFがぶち当たってしまった壁とすることも可能だろう。だが、こと本作を読むかぎりではそれでもよいのではないかと思ってしまうのだ。それは陳腐化してしまった『未来』と、変わらぬ『人間』とのコントラストに面白みを感じるからなのであるが、これは日々革新と陳腐化を繰り返す『技術』と、その狭間で右往左往する『人間』__すなわちほかならぬ『現実』のカリカチュアをそこに見出すことができるからなのかもしれない。