シンシナティ交響楽団

とにかく幻想交響曲にずっぽりハマってしまった。というわけでこの曲についての感想を書くことにする。まさか諏訪内晶子ブラームスで寝てしまったなどとはいえないではないか。
初めて幻想交響曲を聞いたのは中学生の頃だった。交響曲にドラマ性を持ち込んだ曲として名高い。ついでにいえばその筋書きが「フラれたのを苦にしてヤク(阿片)で自殺を図った若い芸術家の見た悪夢」とかいうブっ飛んだものだったりしてさらに有名である。ちなみにこの曲の初演は1830年12月、パリ音楽院にて行われている。型破りな交響曲の先駆けであるベートーヴェン「第九」は1926年。ベルリオーズベートーヴェンの強い影響を受けているとも言われる。作曲当時、ベルリオーズは27歳であった。若い。若さゆえのカッとびぶりか。
パーヴォ・ヤルヴィの指揮はずいぶんエッジの立った演奏という感じを受けた。今年で41歳というからまだ若い。それゆえのエネルギーというのもあるだろう。音はクリアで、このあたりはさすがアメリカのオーケストラらしい。ちなみにシンシナティ響はアメリカでも5番目に古いオーケストラなんだそうだ。
しかしこのパーヴォ・ヤルヴィ、指揮しているときの動きが妙にカクカクしててまるでロボットみたいである。その中で指揮棒だけが妙になめらかに動くのが面白いっちゃぁ面白い。今回は襟のところまでボタンのしまる学生服のような上着で、全身黒ずくめ。頭のハゲかかったおっさんが黒ずくめでカクカク動くってのは正直ちょっと怖いぞ。
テンポは若干速めで、第2楽章あたりではもうちょっとゆったりと、やわらかい音でもよいのではないかと感じたが、同時にこれだと第4、第5楽章はハマるだろうなぁ、とも同時に思った。第3楽章の終盤、遠雷が不気味に轟き渡り、期待はいやが上にも高まってゆく。思わず身を乗り出して来るべき音の本流に備える。そして第4楽章の幕が上がり……
来た来た来た!
断頭台への行進、脳裏に浮かぶ恋人の姿、思い起こされる優しい旋律もギロチンの刃にすべて断ち切られる。そして最終楽章であるワルプルギスの夜の夢。鳴り響く弔鐘。地獄のロンド。まがまがしいまでのエネルギーに満ちた旋律はそそり立ち、鋭くひらめきわたる。これにのめりこまずにいられるか!ブラームスで寝たことなどすっかり忘れてとにかく見入る。
そして息つくヒマもないまま終幕。
とにかく凄かった。今年は随分コンサートを見たけど、これは今までの中で一番ですな。音楽に翻弄される気持ちよさは、やはりライブじゃなきゃ味わえない。やー、いい思いをさせていただきました。今回はステージの後ろ側の席だったんだが、そこからだとちょうど指揮者と向き合う格好になる。当然指揮者の様子もよく見える。これものめりこむのにはよかったんじゃないだろうか。
終演後の観客の反応もよく、アンコールは3曲。ベルリオーズブラームスシベリウスの再登場。

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ