繰り返す歴史の先で

Livedoor Readerをしばらく使ってみて、多少の不具合などはありつつも概ね満足しています。特にAjaxを駆使した画面遷移なしのインターフェースがとてもよくて、使っていてストレスを感じる場面がずいぶん軽減されてるよなあ、と思うことしきり。
そういう意味ではWebの表現力ってのもずいぶん変わったもんだと思います。Ajaxのキモの部分であるJavascriptが「単に重くなるだけでウザい」と忌み嫌われていたのとは隔世の感がある。Flashに関してもこれと同様な批判がされていた記憶もありますが、一時期に比べるとあまり耳にしなくなった気がします。なぜでしょう。
確かにコンテンツやユーザーインターフェース(UI)とはまったく関係のない、単なる装飾としてJavascriptが用いられる例はあまり見かけなくなりました。Flashについても、同等の情報を掲載したHTMLによるページを用意して、そこへの誘導(「skip」ボタンとか)が用意されているところがほとんどです。
これはある意味時間が解決したとでもいうのか、Webの制作者とその閲覧者の双方が、徐々に互いの「文法」に慣れていったためと言えるでしょう。その過程でJavascriptFlashが無効になっていても内容は確認できるページ作りのノウハウや、リンク部分にカーソルを合わせたときにステータスバーにメッセージを表示させるのはよろしくない、というようなタブーの類も徐々に蓄積されていった。そして、そんな有形無形のやりとりを経て今のWebの姿がある。
まあそんなわけで、ある種の「デファクトスタンダード」のようなものがゆるーくWeb全体を覆うようになったわけです。もちろんWebデザイナーさんのように、それでメシ食ってる人にとっては、今後とも重要な問題であり続けるんでしょう。けれども多くの閲覧者にとって、JavascriptFlashを巡る議論というのは、既にあまり気にすべき話ではなくなってしまったような気がします。もっと昔にはWebサイトを作成する上でフレーム分割を使うことの是非、なんて話もあったわけですが、いまそんな議論を見かけることはまずありません。それと同様に、JavascriptFlashを用いたリッチなUIの構築、という話も「枯れた」話題になってしまったのではないか。
つまるところ、「歴史は繰り返す」というわけでして、手を変え品を変え、今後も同様の議論は続いていくはずです。たとえば「なんでもかんでもAjaxでいいのか」という議論も、今後起こってくるかもしれません。そういうことを繰り返していくうちに、やがて議論のタネは細分化、深層化されていく。同時にそれがWeb全体に与える影響というものも限定的なものになっていくでしょう。神は細部に宿る、と言ってみたところで、そのような微に入り際を穿つ議論が世間の耳目を集めることにはならないはずです。そうしていつしかWebという媒体そのものが「枯れて」いく。
最近はなんにつけスピーディにものごとが流れてゆくご時世ですから、今後10年から20年程度でそういう時期が巡ってくるのかもしれないなあ、と思います。もちろんそれをもってしてWebが「終わる」わけではなく、むしろそこから先が「文化」としてWebのありようを問われる時代になるのかもしれません。ちょうど小説や映画のような、既に「枯れた」媒体がそうであるように。
つまりはそれすらもすでに繰り返された歴史であるわけで、ある媒体がひとつのストラクチャーとして世界に向き合うための通過儀礼なのだと捉えることもできるかもしれません。もちろんWebにおける表現のあり方だって、まだ既存のメディアをなぞりつつの暗中模索でしかないわけですから、今からそんなことを考えたって仕方がないっちゃないことです。しかしまあ、せっかくWebという新しい媒体が大きく成長してゆく過程に立ち会うという幸運に恵まれたわけですから、その先で一体なにを見ることができるのか、また何を見たいのかということは考えてみてもいいんじゃないかと思います。
少しは無聊が紛れるかもしれません。