「気付きのレベル」を導入しよう 〜成長へのちょっとした近道〜

前口上

アイリッシュダンスを始めてしばらく経ちました。とりあえずは基本レベルのことをやるのに精一杯ですが、それとは別に、講師のTakaさんを含めたメンバーで飲みに行く機会があったりして、色々と面白い話を聞くこともできました。
Takaさんは現在アイリッシュダンスのショーでは世界一の規模を誇るRiverdanceの舞台に立ったことのある方です。20代後半でダンス経験まったくゼロ、というところから初めて、たった数年でそこまで行ってしまったという経歴でもあり、半年ほど前の日本公演では私も舞台を見上げながらすげえなあと感じ入ったものです*1。そんな人の隣で晩飯食ったりして、まったくなにがあるかわからない世の中なのには違いありません。
今回はそんなところでお伺いした話のうち、「気付きのレベル」という考え方をもとにして自分なりに思ったことについて書いてみます。「成長」とは「気付きのレベルを上げること」なのではないか?ということです。短期間でプロのレベルにまで至ったTakaさんが、常に心がけていたという「気付きのレベル」について考えてみることは、ダンスの世界に限らず色々な場面で役に立つものだと思います。

「気付きのレベル」とは?

一言で言ってしまえば「気付きのレベル」とは「ものごとをうまくやりとげるために注意すべきポイントをどれだけ知っているか」ということです。加えてそのポイントをより多く持つことが「気付きのレベルを上げること」になると考えていただければいいでしょう。まあ簡単ですね。
たとえばダンスをする際に注視すべきポイントとしては、まず「正確にステップを踏むこと」があげられます。つーかこれができなきゃ話になりません。そして、それができるようになってくると今度は「姿勢の正しさ」に注意するようになる。脚の上げ方や角度も気になるかもしれません。脚を上げたときにちゃんとつま先は伸びてるかな?そうそう、重心はブレずに安定しているだろうか__そうやって少しずつ「気付きのレベルを上げていく」わけです。

初心者には上級者が雲の上の人に見える

初心者から見て、上手な人というのは「どうしてこんなことができるんだろう」というふうに見えます。つまりは自分がどうやったらそんなふうにできるのか、見当もつかないということですね。まさに雲の上にいるように見える、そんな感じがぴったりくるかもしれません。
さて、とは言っても「見当もつかない」で止まっていてはお先真っ暗です。というわけでこれを「気付きのレベル」という観点から見てみることにしてみましょう。さて、どうなるでしょうか。
実のところ、同じことをやるにしても、初心者とそれなりのレベルにある人とでは注意しているポイントが全然違います。「気付きのレベル」が段違い、というわけですね。上手な人というのは初心者よりもたくさんの注意すべきポイントを持っていて、そのひとつひとつをモノにしてきた人のことです。モノにしてきたとはつまり「意識しないでもできるようになる」ことですが、上手な人がモノにしてきた数々のポイントの中には、初心者の人がまだ気付いてすらいないポイントもたくさんあったりするものです。
だとすれば「どうしてあんなことができるんだろう」ということになるのも無理はない、ということになります。自分がいまだに気付いていないところを、その人はすでに自分のモノにしてしまっているわけですから。
ステップを踏むのに汲々としている人の頭の中は、次に踏むべきステップのことでいっぱいになってしまっています。そんな状況の中で身体の軸が傾いていないかどうか、なんて気にしろたって無理な話というものでしょう。でも上級者はそれですらもう当たり前になっていて、今度は意図的に身体の軸を傾けることによって得られる効果について注意しながら練習しているかもしれません。そりゃ敵わないと思うのも当たり前です。

「気付きのレベルを上げる」=「成長」

この話はなにもダンスに限ったことではなく、我々が普段行っていることに広く当てはまる話だろうと思います。仕事でも趣味でもなんでもいいですが、始めたばかりの頃と、しばらく経験を積んでからでは、注意しているポイントがまったく異なっていることに思いあたるのではないでしょうか。同時に、前はこんな当たり前のこともいちいち気にしないとできなかったんだよなあ、というポイントも、たくさん見つけられるんじゃないかと思います。
おそらくはそれこそが我々が「成長」と呼んでいるものの本質なんだと思います。「成長」とはすなわち「気付きのレベルを上げること」__そんな風に言うことができるんじゃないか。
もっとも、これは意識的にか無意識的にかの別はあるにしても、我々が普段から当たり前に行っていることでもあります。
成功や失敗、いろいろな経験を繰り返しながら「今度はこういうところにも注意しよう」と「気付く」ことは、おそらく誰しもがやっていることだと思います。他にも「技術は盗むモノ」なんて言い方がありますが、これは自分よりも経験豊富な人の仕事ぶりを見ながら、自分に足りなかったところに「気付く」ことを称して「盗む」と呼んでいるのだと考えることもできるんじゃないでしょうか。
それらの色々なプロセスを取りまとめ、「気付きのレベル」という観点で捉えなおしてみる。この文章で私がやろうとしているのは、実のところそれだけのことです。もちろんそこに意味があると考えてのことではありますけどね。じゃあその意味とは一体なんなのか。
簡単に「成長」と言いますけれども、そこにはなにやら漠然とした印象があります。「成長しろ」と言われても「一体どうしろってんだよ」と反発したくなることもあるかもしれない。けれども、これを「気付きのレベルを上げる」と言い換えるとどうか。またダンスの話で恐縮ですが、たとえば「じゃあそういうアンタはどういうところに気を付けてるってんですか。つま先ですか、それとも視線ですか」というように、より具体的な話をすることができるのではないでしょうか。なんか不遜な言い方なのが気にならなくはないですが。
そんなふうにして、自分がなにをするべきかをより具体的にイメージすることが可能になるのではないか__わざわざ「気付きのレベル」なんて考え方を導入するのは、そういう効果を期待すればこそです。「気付きのレベル」というひとつの考え方を取り入れることによって、「成長」への道筋をより明確に捉える__考え方を整理することができる。そのためのちょっとしたキーワードが「気付きのレベル」なのです。

自分で見つけることに意味がある

とりあえず言いたいことは大体言ってしまいました。あとはほんの少し「気付きのレベル」に注意してみるだけです。他にも、たとえば先輩の話を聞くときにも役立つかもしれません。漫然と話を聞くよりは、その人が果たしてどんなことに気を付けているのか?というポイントに注意しながらの方がきっと面白く聞くことができるようになるでしょう。「聞き上手」への第一歩、になるかもしれません。思わぬ副産物です。
ただし注意点がひとつだけ。意識するのはよいですが、最初からあまり欲張りすぎないことです。人の話を聞いたり、本を読んだりすれば、注意すべきポイントはたくさん見つけることができるでしょう。けれども一度にあまりたくさんのことを気にしすぎると、今度は考えすぎて体が動かなくなってしまいかねません。自分で出来る範囲で、少しずつ、着実に。これは教わる側だけではなく、教える側の人も注意しておくべきポイントなのかもしれないですね。
まあ一足飛びにレベルアップしようったって世の中そんなに甘くはないってことです。結局階段を一歩一歩上らなきゃいけないってのは同じであって、変わるのは登るスピードの方なんです。それだけでも随分違うとは思いますけども。
気付かされるのではなく、気付くことにこそ意味がある。ちょっと格好つけた言い方をすれば、そういうことになるのかなあ。

おわりに

というわけで「気付きのレベル」と「成長」との関係について長々と書いてみました。色んなところに新人さんが溢れる季節ですから、まあふさわしい話題ではあるかな、と思います。
読んでみてすぐ腑に落ちたかどうかはわからないですが、私にとって「気付きのレベル」という考え方は非常にわかりやすいものでした。そうやってものごとを見てみると、単に「成長」というだけでなく、他にも色々と新たな発見があると思っています。相も変わらずだらだらとした文章ですが、意図したところが伝われば幸いです。

*1:このへんのお話しについて、詳しくはご本人へのインタビュー記事「コンサルタントからダンサーへ〜ゼロからリバーダンスへの軌跡」(Himawarhythm)をご覧下さい