敗北の条件

最近「〜したら負けだと思っている」というフレーズを見かけますけど、これを見るたびになんだかなあ、と思います。まあ流行のフレーズと化している感があるのであまり鼻息を荒くして噛みついても詮方ないですが、これはおそらくなんらかのコダワリの表現なんでしょう。しかしなにもわざわざ「負け」になる条件を自ら増やさなくてもいいのに。
どうせなら「〜すれば俺の勝ち」としてしまってもいいんじゃないかという気がします。というかその方が多分気楽です。たとえ勝てなかったとしても、「NOT 勝ち ≠ 負け」とか強情張れるわけですし。もしうまくいけば自分勝手に高笑いができます。便利。
で、一応「したら負け」でググってみたんですが、まあ色々と負けるための条件があるみたいです。そんなにみんな負けたいのか。なんとなくの印象ですけど、世間一般の常識を逆手にとってるものが多いような気がしました。「結婚したら負け」とか「外出したら負け」とか。屈折してるといえば屈折してるような。
しかし勝ち組、負け組とか、みんな随分白黒はっきりつけたがるようになったもんだと思います。あとはあんまり関係ないですけど「〜組」というカテゴライズも増えたような。まあわかりやすくて結構なことだと思います。世界はモザイク模様でできているのかもしれません。遠くから見る分にはわからないからいいのかも。写真画質のプリンタだって結局はドットの集まりでできているわけですし、解像度をあげれば問題なさそうです。たとえ白黒二値であるにせよ2400 x 600dpiもあればレーザープリンター並の高画質ですからバッチリですね。